2009年10月31日土曜日

ふたりだけ

妻の母親がアルツハイマーで、現在施設入所中である。

母親のボケがひどく、進行しているという話が出た頃は、
糖尿病が助長しているのだと思っていた。
こうして妻にアルツハイマーの疑いをもつようになり
家族性のアルツハイマーではないかと考えている。

うちには子供がいない。
ここ数年、なぜうちに子供が出来なかったかを考えていた。
不妊治療も受けて、客観的には出来ておかしくなかった。
それでも授からなかったが、夫婦ともあまり拘らなかった。
私の仕事がら、子供が出来ても家庭的ではなかったと思う。
妻も、自分の成育歴から、あまり子供を望んでいなかった。

家族性であれば、優性遺伝である。
子供の50%が若年性アルツハイマーを発症する。
不良遺伝子を淘汰するという点から考えると
私たちに子供が出来なかったのは生物学的に正しい。
まあ、後付けの納得ではあるのだが。

ただ、子供を育てた事が無い私たちは
夫婦、という点では、もう長いこと夫婦ではない。
それが、今後の介護の迷いにならなければいいが。

やられたー (><)

受診を忘れる、というのは想定外だった。

昨夜もいろいろ心配な事をしでかしている。
夕食の食器を洗っていない。
(うちは自動食器洗浄機なので、入れてポン、なのだが
前回、前々回の食器が洗いっぱなしで収納されていない。
だから洗う事も出来ず流し場に放置されている。
日中からなのだと思うが、コーヒーカップも置きっぱなし。)
一昨日録画開始した番組を24時間停止し忘れていたようだ。
チェックされるのがいやなのか、録画そのものを消してあった。
私を仕事場に迎えに来てもらう時に、
味噌汁用の煮出しの火を消し忘れてしまっている。
ペットのかめの世話もおろそかになりかけている。

日中あったことをいつも事細かくおしゃべりするのだが
いつまで待っても今日の脳神経クリニック受診の話が出ない。
それとなく「今日、どうだったの?」と聞いたら
「おなかの調子が悪くて受診しなかった。」とのこと。

それ、小学生の言い訳だから。

2009年10月30日金曜日

マッチングの結果

マッチングの応募が募集の半分しかない、と

毎月最後の金曜日は医局会が開かれる。
医局会だけで説明される、新カルテの操作方法などもあり
今日に限っては結構出席者は多い方であった。
普段は閑散としていて、なさけなくなる程なのだが。

さて、医局会に合わせてという訳でもないが
来年度研修医とのマッチングの結果が発表された。
17人応募に対して9人しか応募が無かったという。


来年研修医になる学生の第一志望が当院である場合、
枠があれば内定、なければ選抜方法を決める、
マッチングとは、まあ、初顔合わせのようなものである。
年々当院への応募が減ってきているのは
当院で研修医をしても美味しくないからであろう。
研修内容が薄いとか給料が安いとか、あるいは
研修後の行き先が魅力に乏しいだとか
研修医の側にはいろいろな理由付けがあると思う。

ただ、当院への応募が少ない一番の理由としては
地元の大学の医学部から嫌われている点が挙げられる。
教授側に嫌悪感があれば、学生ははなから選択枝に入れない。
嫌悪感を持たれる理由は、ドクターヘリにまつわるごたごたもある。
県全域で活用すべきヘリを将来構想無く分捕ってきたのだから。

医局会では、来年度の研修医獲得に向けて、
今後積極的に対応すると明言していたが
あまり期待できないのではないか、とひそかにあきらめている。

機嫌

妻は最近、妙に機嫌が良いように振舞っている。

既に1年以上前から異常はあったと思う。
変に自己中心的だったり辻褄の合わないところがあった。
ただ、去年は私自身の仕事が大変な時期で
正直、私生活がうまく流れない事もあり
精神科で開業した知人から抗うつ剤を貰おうと思っていた。
去年の夏ころの話である。

で、その知人へ受診するのに妻を付き合わせようとした。
休暇をもらい受診しに行ったら、たまたま臨時休診であった。
思い出せないが、心当たりがあったのだと思う、
妻に、「お前も受診したらどうだ」と勧めた。
かなり受診は渋っていたが、私も受診するからと納得させた。
妻は初診で直ぐにうつ病の診断がつき投薬が始まった。

結局私は受診する機会を失い、そのままとなってしまった。
妻が抗うつ剤を飲み始めてから、もう1年は過ぎた。
掃除洗濯がまめに出来ていない、
夕食の片づけをサボる日がある、などは改善していない。
その上に最近は物を良く無くすし、
物事の計画を立てるなどの段取りがうまく出来ない。
試しに我が家の立体図を書かせると書けない。

妙に機嫌が良い、あるいは良いように振舞っているのも
一緒にいて違和感を感じる部分である。

今日は妻だけ脳神経クリニックに受診して
各種のテストを受ける予定である。
結果が大いに気になるところだ。

2009年10月29日木曜日

平穏な毎日である幸せ

妻に若年性アルツハイマーの疑いを持ってからというもの
以前と違う事が起きるのにかなり臆病になってしまった。

家は職場に近いのと、日中妻が車を使う事が多いので
しばらく前から、職場への送り迎えは妻にしてもらっている。
ところが、昨夜は帰り道、2か所ばかり道の右側通行をしたのだ。
車の運転は臆病なくらい慎重な妻なので、
そんな運転をしたのを初めて見た。
しかったり注意したりはしなかったが、内心ショックを覚えた。

今まで間違えることなどなかったトイレットペーパーの銘柄を
先週突然間違えて買ってきてしまった。
使ってみて普段と違うので、指摘したら大慌てで交換していた。

以前であれば「めずらしくうっかりしたのだな」で済む話ではある。
しかし、疑いを持ってしまった以上、そういうちょっとした事も
症状の一つに見えてしまい、状況証拠が増えるような気分になる。

 もう何も変化しないで欲しい、平穏無事でいて欲しい、
何かが起きるたびに胸が潰れるような息苦しさに襲われる。
まさか、平穏で変化の無い生活を渇望する日々が来るとは
想像もしていなかった事態である。

2009年10月28日水曜日

絵の個人注文

昨日病院受診後、中学時代の友人の画家の個展を見に行った。
一度自宅に来てもらい、飾る場所に合わせて絵を注文する事とした。

この友人が画家になるとは、想像していなかった。
もともとは合唱部仲間である。

私たちの中学の合唱部は東北地方有数の混声合唱部であった。
ただ変声期の男子を入れた混声合唱は難しいものなのだろうか、
私たちの学校で混声を指導した先生だが、次に赴任した中学校では
女性合唱部を指導し、NHK合唱コンクールで、何度も全国制覇した。
世界合唱コンクールで銀賞を獲得するなどすごい成績を残している。

混声合唱ではあるが、男子は合唱部専属の部員はいない。
中体連が終わった後で、主に運動部の3年生の中から
個人的に声をかけられ、合唱部入りするのである。
だから、男性パートは促成栽培で作り上げられる。
合唱部に所属すると、秋の発表会までは休日無しであった。
別に苦では無かったが、とにかく練習漬けの毎日であった。

妻がまだ書道も合唱も積極的だった頃に、独唱の発表会に
画家兼ピアノ教師の彼がたまたま見に来ていて、
発表会後の茶話会で、私の中学の合唱仲間だと判ったという。
妻の方がこれまでも彼と会う機会は多い位であった。
今回は、絵を注文したいという妻に連れられて個展を見に行った。
明るい色調で落ち着きのある絵が多く、半分は売約済であった。

妻は、絵が好きだし、個人的に応援もしたいから、と
以前から彼に絵を描いてほしいとお願いしていた。
今回はその話を具体的に進める事とした。
値段も結構するものなので、
妻は「ローン返し終ってからの方が良かったかな」と
少し後悔している口ぶりであった。

いや、そんなに残された時間は長くないかもしれないから。
好きな絵を、自分の希望で買った事を覚えていられる時間、限られてるから。
だから、もう楽しみを後にとっておくことは、やめにしようね。

2009年10月27日火曜日

本日病院へ

今日、妻が近くの脳神経クリニックを初めて受診した。
私は仕事を休んで付き添った。

朝問診の後、いくつかのテストを受けた後MRI撮影。
診断は今日すぐには出ないと思う。

受診と検査だけであれば妻だけで十分なのだが
おそらく問診に対して、的を射た返答が難しいだろう事
いずれ主治医には、私が同業者だとばれるので
最初にあいさつした方が失礼が無いであろう事
そして何より、妻の診断名が私の予想通りだったとしたら
こうして一緒に過ごす時間を今のうちに多くするのが
今、夫として出来る唯一の事だと思うから。

「今日はどうせ仕事無いから、受診が終わったら遊びに行こうね。」
この一言で納得したようだが、実際は一人での受診は心細かったのだろう。

クリニックでは問診前も多弁気味だったし、問診の時も興奮気味だった。
以前から二人でメモ用紙にランダムに書き込んでおいた今までの症状を、
私が時々補って主治医に伝えたのだが、その内容でおそらく
妻に対して若年性アルツハイマーを疑っている事が伝わったと思う。

正直結果が出るのが怖いのだが、結論を先延ばしにも出来ない。
もし私の誤診だったら、このブログもすぐに消してしまう予定でいる。