2010年1月21日木曜日

萎える気持ち

職場で、周りの人に、疲れているようですね、と言われる事が増えた。

ここ数日は、気持ちが昂りつつ萎えるという嫌な精神状態になっている。
1月22日金曜日午前中に、いよいよ弘前大学神経内科教授の診察となる。
この時点で告知、という事になるのだが、その後、どうなるのだろうか。
いつまで穏やかで良好な関係を保つ事が出来るのだろうか。

おそらく、妻もなにも出来ない自分に苦しんでいるのだろうが
私が、自分を押し殺しながら、そしらぬふりをしているのと同じ様に、
努力して平静を装っているのだろな、と思う。

だけど、相変わらず片づけが全く出来ていない寝室や
流しに積みっぱなしの皿、ここ数日のスーパーのお惣菜
だけで済ます夕食などなど、横目で見ながら、この数カ月で
一気に出来ない事が増えてしまっているように思われて
胸が潰れるような、悲しい思いに捕らわれてしまう。

それで、「ごめんね」と謝られると、さらに悲しくなってしまう。
別に怒ってないし、責めてないから、あやまらないでよ。
出来なくなってるのは、あなたのせいじゃないんだから。

以前、冗談で、ペットの陸ガメの方が長生きしちゃいそうだねって
二人で笑ったのに、本当に陸ガメより先に妻を失うのだろうか。
呆けた妻のベッドサイドで、一緒に育てたネットゲームのキャラ名で
「あの子は今日も頑張っていたよ」ってお話する事になるのだろうか。

二人で過ごす時間をより長く取ろうと努力しているけれど
二人で過ごしている間は、自分を殺してさりげなく振舞っている。
それが、疲れになって溜まってきているのだろうな、と思う。

今日のように、当直で、一人で過ごしていると、
いろいろな考えがよぎって、涙が流れてしまう。

もし、人間の魂が不死だとしても、亡くなった時の記憶と感情を
引き継いで生き続けるのだとしたら、アルツハイマーで亡くなる妻は
夫である私の記憶や、私への愛情を全く失って、無垢のままで
逝ってしまうのだろうか。なにか、とても、むなしい。

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