連れ合いの病気と予後の理解の仕方を変えてみると・・・
医局の一つ先輩がだいぶ以前に開業していて、開業も楽しいと言っていた。
その先生の前の奥さんは、だいぶ以前から乳がんで坦癌状態が続いていて
お子さんを持たず、大型犬2匹と生活を共にしていた。
一時期、その先生のクリニックに、妻がアルバイトで働いていた事がある。
開業当初で、手術室勤務経験のある身元の確かな看護師を募集していて
どういういきさつだったか忘れたが、妻が働く事になった。
しばらくは、「身売りされた」が私たち夫婦の合言葉であった。
その先生の奥さんが亡くなった後、先生は英会話講師であった
英(豪?)国人の女性と早々と再婚して周りを驚かせた。
開業⇒看取り⇒再婚と、おそらく綿密な計画を立てていたのだと思う。
異国女性との結婚予定も、その先生の中では介護の励ましだったのだと思う。
先日、上司の奥さんに、妻が若年性アルツハイマーだとお話した時、
例え話としてだが、普通の人なら、退職後30年で過ごす年月を、
今後5年程度で過ごす事になるので時間の早さは5~6倍で過ぎる
だから、今後は家庭での時間を重視して働きます、とお話した。
でも、それは逆に、幸せな事なのかもしれない。
おだやかに、幸せに1時間過ごす事が、5~6時間の幸せに相当する。
家事が出来なくても、二人で90インチのゲーム画面に見入りながら
自分たちの子供代わりのMMORPGのキャラクターを育てながら
あれこれ、たわいもない会話をして、気がつくと妻が寝息を立てている。
私はゲームの音を低くして、また目覚めるまでゲームに浸る。
妻の目が覚めたら、またゲーム内の事であれこれ無難な話をする。
世俗的な心配も、苦痛な人付き合いからも離れて、
二人だけでゆっくりと、おだやかに過ぎていく時間・・・
今、この時間を持てている事が、私には介護の励みになるのだろう。
「君に読む物語」、のノートに、今のこの時間の事を書いていて
呆けた妻に読んで聞かせる事になるのだろうか
だとしても、それは、楽しかった事として、妻に読み聞かせられそうだ。
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