2009年12月30日水曜日

今日も出勤

昨日は当直明けで回診、本日も朝8時から出勤した。

一番の理由は、家がごみ屋敷化してきたからでもある。
数日前の実家との食事会の食器が洗われず山積み。
その後の食器やらなんやらも全て台所に放置されている。
先日、めいが泊りに来たが、布団も出しっぱなしだし
数日前の洗濯物も居間に干しっぱなしで取り入れてない。
寝室は脱ぎちらかした衣服が山積みになっているし
広いから目立たないだけで、ごみ屋敷となっている。
昨日も、食器の整理が出来ていなかったせいもあり
夕食は回転寿司の持ち帰りだけで終わっている。
私は職場でシャワーで問題ないが、めいが来た時以外で
我が家の風呂が稼働したのは、最後はいつだったろう。
あげく、今朝は起床出来ずベッドから出てこない。
このままいけば、ペットの陸ガメも早晩死ぬだろう。

基本、自分の身の周り位は整理をしているのだが
「できないならしなくて良いようにしよう」というのもいやがる。
例えば新聞なんかもチラシを止めようといっても
いや、見るから、と抵抗する。そのくせ片づけない。
新聞そのものを取らなくてもいいのにと思う。

昨日はハリーポッター第2作も見たが、
クディッチの事を覚えていないと言っていた。

整理整頓だけではなく食生活も目一杯崩壊している。
私が無頓着なのでなんとか保っているという程度で
実情を知ればだれでも目をひそめる程度に崩壊している。

どうしたものだろうか。

2009年12月28日月曜日

仕事納めーだけど当直

仕事納めの夜は、職員食堂とか休憩室を使って飲み会が開かれる。

昔は結構大騒ぎをしたはずだが、今は本当におとなしく語り合う。
ただ、お酒やビールは飲み放題飲んでいい事になっていて、
例年、数人は医局のソファーで飲み過ぎでぶっ倒れている。
日頃は飲み会に誘われない他部署の人にあいさつ出来るのも
魅力の一つで、ICUとか急患室や事務系の人と飲んで会話出来る。

ただ、今年は麻酔科当直のため、納め会はちょっと顔を出して終わり。
さびしい半面、鬱陶しい付き合いから解放される利点もある。
今日も脂肪肉腫切除を一人でやらされ、熱傷手術を主導し
午後に外来と回診で飛び回り、と大変な一日であった。
夜は臨時手術が無ければ体を休めるに良い時間が持てる。
せっかくだから本を読まないともったいないと思う人もいるだろう。
人によるのだろうが、私は休める時は本など読まず寝てしまう。
いざという時、休養が足りずに不機嫌になったりしないように
とにかく休める時間に休んでおこうと意識してしまう。
幸い、私の場合はどれだけ寝ても寝続けられる性質のようだ。

通常は極力入院患者を持たないように努力しているのだが
今年の年末年始は数名の入院受け持ちの状態となっていて、
残念ながらどこかに旅行とか骨休めには出かけられない。
テレビやビデオも新しくなったので、毎日回診したら、
自宅で映画三昧、という事になりそうだ。

2009年12月27日日曜日

いつになったら年賀状?

昨夜は私の実家の面々をお招きして夕食会。

実家には、私の母と兄夫婦の3人が2世帯住宅に住んでいる。
おいは東京の大学に行っていて、この年末には帰らないと。
昨夜は私たち夫婦と、母、兄夫婦と5人で夕食を取った。
その準備に妻は1日かけたのだが、掃除機を動かしたのは
何日(何週間?)ぶりだろうか。
まあきっちり整頓したのではなく、居間だけ繕ったのだが。

年賀状は宛名も裏も印刷して置いてあるのだが、一向に
出す気配がない。聞くと、一言書いてからじゃないと出せないと。
もともとそういうのが出来なくなってきてるのだし
今までたっぷり時間もあったはずなのに、していないのだから
裏書せずに出せばいいものを、と少し不機嫌になってしまった。
本当に、本当に何にも出来ないし、しなくなってきている。
病気のせいだから、と判りつつも、怒りを抑えるのに一苦労だ。

昨日はスカパーの受信器とレコーダーの同期が取れず、
LANケーブルの引き回しを変えたり、直接繋いだりと
いろいろやって、どうやら原因がレコーダー側でLANを
認識できていない(アクトビラに接続出来ない)事が判った。
一か八かでレコーダーをリセットすると、無事回復。
初レコードはHDで映画「マンマミーア」を録画した。
昨日の収穫は、本当に、たったそれだけであった。

2009年12月26日土曜日

紹介状を貰ってきて

昨夜はかなり精神的に参ってしまったようだ

日中に隣家の息子がアルバイトをしている中華料理屋に
隣家の奥さん(高校時代の同級生だったとのこと)と昼食を
一緒に摂ったとのこと。隣家には、我が家で以前使っていた
DVD/HDレコーダーを譲ったので、そのお礼だという。
その他に、脳神経クリニックから紹介状を貰ってきていた。

昨日も麻酔⇒広範囲熱傷手術⇒麻酔⇒外来と、私の方は
いっぱいっぱいの一日で、結局医局会も欠席した程なのだが、
帰りのお迎えコールをしても、具合が悪いの一点張り。

で、歩いて帰ったら、妻は迎えに立とうとして転倒してしまった。
その後もしばらくはソファーに突っ伏していて、しばらくしたら
1時間ほど寝息を立てていた。
意識が少し戻ると「ごめんね、ごめんね」と繰り返す。
紹介状を貰った事で、自分の病状への不安が高まったか
あるいは自分の母親と姿がだぶったのかもしれない。
結局年賀状のチェックもしていないままであった。
素知らぬふりをして、おどけてやり過ごしたのだが、
私の方も気持ちを強く保つのに、かなりの精力を費やしている。
正直、気にしていない振りをする以上のサポートは今は不可能。

こんな状況が、何年くらい続くものなのだろうか。

2009年12月25日金曜日

年賀状

元旦に届けるには今日までに投函しなきゃいけないんでしたね

妻の受診や居間の大改造などなどで、すっかり後回しになってました。
だいたい、クリスマスも全く関係なく日々が過ぎております。
昨夜大急ぎで、最低限の友人への年賀状を作成しました。
出来あいの物をそのまま印刷して宛名印刷し、一言添えて終わり。
ただ、今年からは出す人を大幅に減らすつもりです。
元気でいる、との便り代わりであったのだけれど、
ここ最近のいろいろで、すっかり元気も意欲も無い生活になっていて
いろいろな部分で無理は止めようと決断しました。

ちょうど伯父が、肺炎を悪化させて今年亡くなっているので
身内の分は欠礼という事で、実際の年賀状はだいぶ少ないのですが。
妻の分は、図柄は印刷済みなので、出す相手のチェックだけ。
ただ、チェックをするのがここ数年すごく大変な作業のようで
遅々として進まないのが難点ではありますが。

2009年12月24日木曜日

一つ直すと一つ壊れ

オーディオ機器の配置換えなどをしていたら・・・

FASTのメインアンプがぶっ壊れて、修理に出したのが帰ってきて
まあ、一段落かなぁ、と思っていたら、なんとメインシステムの
QUADのプリアンプの右チャンネルが潰れてしまった。
メインアンプには問題がないようなのだけれど・・・
ロッキーインターナショナルに修理に出さなければならない。
その間、アンプをどうしようか悩んでしまう。

まだ新しい機器に慣れていないというのに、まったくもぅ。

2009年12月22日火曜日

10時間ぶっつづけ

今日も10時間ノンストップ麻酔で終わったところです。
今日は予定手術より臨時手術の方が多いという1日で
私の担当は3件中2件が臨時手術でした。
まあ一番時間を食ったのは予定手術の4時間超でしたが。

今日は中国から研修に来ていた先生の送別会が予定されていて
本来であれば今から向わなければならないのでしょうが、
ここ数日熱っぽいのもあって今日は欠席させてもらいます。

妻が母親に本当によく面会に行くので、実は不思議です。
学生時代はまともに育ててもらえず、看護学校時代も
仕送り無しで自分のバイトで全て賄っていたし、
奇行などが続いていて、私との結婚後も悪夢にうなされ続け
気がつくとアルツハイマーで手間ばかりかかるように。
挙句、その遺伝子を自分が継ぐ羽目になってしまった。
普通なら恨んでも恨みきれないのではないでしょうか。

もしかすると、既に脳幹だけで生きている母親と、
今やっと和解を、妻の中だけで組み立てているのかしら。
あるいは、母親と同じ状況になった時には
私が、今妻が母親にしているのと同じくらいに
頻繁に、やさしく接してくれるよう見せているのかしら。

もちろん、妻が施設入所の羽目になったら
頻繁に面会に行く心づもりではいるのですが、
なんだか、切ないなぁ

いろいろ届いた一日

昨日は、いろいろと機材が宅配されてきた一日でした。

まず東京に修理に出していたメインアンプが戻ってきました。
内部の故障ではなく接続端子がゆるんだとのことでした。
スイッチと接続端子が交換となって返ってきました。
あとはブルーレイHDDビデオレコーダーがやってきました。
液晶テレビとの接続は、少し離して置くので工夫が要ります。
どちらも、今日は妻からセッティングしないよう言われました。
普通、直ぐにセットしてすっきりしたいはずなのですが・・・。

あと、昨日は髪が臭っていたので確認したら、
シャワーの代わりに水のいらないシャンプーを使った、と。
最近入浴の機会が無く、私は職場でシャワーだったのだけれど
妻のシャワーの頻度が激減している事が推察されます。
トイレも以前より頻繁で、ペーパーを流してない事もあります。
今朝は私だけシャワーを浴びて出勤しましたが、
やはり何に対しても、意欲の減退が強いようです。
話し言葉も日によってまともだったり迂遠だったり。
変動を繰り返しながら悪化しているようで不安です。

2009年12月21日月曜日

精神科クリニックへの連絡

妻がお世話になっている精神科クリニックに連絡しました。

SPECTの読影結果を、お知らせする必要がありましたので。
もともと職場の同僚だったので、詳しい情報を伝えたいと思い
まずは電話したけど、最近はお昼も取れないほど忙しいみたいで
受付嬢からメールアドレスを伝えてもらい、メールしました。
幸い、1月22日のものわすれ外来受診に向けて
診療情報提供書の作成を快く引き受けてもらえる事となりました。
少しでも早くアリセプトを始められると良いですね、とも。
もしアリセプトを開始するのであれば、ここから出してもらえると
治療の継続になって、こちらも助かるのだけれど。

問題は、介護が必要になった時の連携がうまくいくかどうかかな。

身内の手術

今日は、午前に身内の乳がん手術がありました。

3年前に身内3人で乳がんの検診を一緒に受けたのですが
乳腺症など全く問題なしとされた人に今回乳がんが見つかり
うちの病院で今日の午前に手術となりました。
妻は朝から付き添うため、一緒に出勤となりました。
で、その後は妻だけ義母の入院先に移動しています。
年末だけど身の回りが非常にあわただしい限りです。

今日は夜に、ネットで注文したビデオデッキが届きます。
我が家のテレビ周りの近代化はこれで一段落です。
問題はPS3を居間に置くか書斎に置くかなんですが
もう1台買って両方に置くというのが一番良いかも。

2009年12月20日日曜日

義母再入院

昨夜、義母が退院したばかりの病院に再入院となりました。

昼に眼瞼浮腫が結構はっきりあったので、うすうす感じていたのが
夜になって発熱・高血糖となり、夜に緊急で再入院となったのだけれど
個室に搬送され、一通り処置が終わったら症状も好転していて
解熱して呼吸も穏やかになってきました。
義母の主治医とは、アルツハイマーで脳萎縮が高度な上に
前回入院ではっきりした多発脳梗塞・脳出血などがあるので
積極的救命(挿管など)はしない方向で再確認いたしました。

実は、この時の当直の主治医の先生は、テニス仲間でもあります。
その先生の奥さんは妻と結構懇意にしてくれているのですが
妻の診断がほぼ確定し、また知り合いの医者という事もあり
二人になった時、SPECTの結果をお知らせしておきました。
義母の説明や急変時に、妻の対応が少々おかしくても
若年性アルツハイマーと知っていれば対応も楽だと思います。
医者には守秘義務があるのも安心して話せる理由でもあります。

さて、昨日今日は麻酔科待機でお酒を飲めなかったのですが
その分スカパーHDのセッティングで時間を過ごしました。
で、結局麻酔で呼ばれて今病院にいる訳なのですけれど。
数日安定していたら、義母は施設に戻ることになると思います。

2009年12月18日金曜日

昨日は脳神経クリニックでの説明

SPECTの結果説明のために、脳神経クリニックに受診して来ました。
今回は夫である私だけで説明を受けるという事で、わざわざ通常の
診察が終了した後に時間を作って頂きました。感謝です。

結果ですが、アルツハイマーに特異的な部位での血流低下が認められ
読影結果では、初期のアルツハイマーの疑いという事でした。

血流低下の程度は、標準偏差で-2SD(-1,15SD以上で疑いが強い)
血流低下範囲は38%(15%以上で疑いが強い)
もうひとつパラメーターがありましたが、3つのパラメータ全てで
アルツハイマーの診断基準を満たしているという結果でした。
やはり脳神経クリニックの主治医は、若年性アルツハイマーに対しては
十分な経験が無いとの事で、専門家に紹介したいという話でした。
たまたま、私の職場には、1か月に1回、弘前大学神経内科の教授が
認知症外来で診察を行っているので、1月22日の外来に紹介してもらう
という事でお願いしてきました。
1年以上治療で通っている精神科の主治医からも紹介状を回してもらった
方が良いのではないかとのお話を頂き、確かにそうですので
妻に、精神科クリニックからも今までの経過について紹介状を
認知症外来あてに作ってもらうようお願いしてきてもらいます。

まあ、あと1か月は投薬なども無く過ごすという事になります。
妻は、昨日は、会話のテンポ、お酒を飲んだ時のようにゆっくりで、
内容も迂遠でした。同じ話の繰り返しも頻繁で、なんだか
一気に進行してしまったような錯覚を覚える位でした。

私自身、仕事がきつくて疲れていたせいかもしれません。
二人にとって一番幸せなのは、早く寝てしまえる事かも。

2009年12月16日水曜日

アイスホッケー今季最終戦

最後の最後に、メンバーの一人と言い合いになったのだが

今季開催前に、首脳会議で扱いをどうするか困ったメンバーがいて
フィギアスケートのインストラクターで、スケートは滑れるけれど
練習にはほとんど来ないで、試合も時に休むという女性。
昨日の試合では私と同じデフェンスで試合に参加したのだけれど
プレーにいろいろな問題を抱えている。
デフェンスなのに自分で攻め上がりたい気持ちが強すぎて
攻め上がった後、自陣への帰りが遅く、攻めっぱなしだったり
自分の責任サイドでの敵へのチェックが大変甘くて
ゴール前に居座るだけで敵に体を寄せていく事が出来ていない。
その後、私なりにその原因を分析してみたのだけれど
まず、体格が華奢で筋力が無いので、瞬発力に劣るのだろう。
一度スピードに乗ると速いのだが、デフェンスに必要な、
体を相手に寄せていき、しつこく手を出し続ける、というのは
体格的・筋力的に難しいのだと思う。
試合は1-3 で負け、その女性のいるセットで2点取られている。

ただ問題はここからで、試合後に「慣れてからで良いのだけれど
自分の責任サイドではゴール前で立っているだけではなく
積極的に敵フォワードに体を寄せて邪魔してほしい。」と
長年チームで中心的にやってきている立場でもあり、
指導的な申し入れをしたところ、思わぬ逆切れに会った。
「上から目線で言われても腹が立つばかりだ・・・」と。
「うまくなるために問題点を言い合うのがおかしい事か?」というと
「気分を害する」とか、感情的な反発しか言わない。

確かにCチームは、研修医など練習参加が難しくても参加できる、
というのを売りにしているのだけれど、お遊びでやっている訳ではなく
真面目にやっている人は、下手なりに課題を見つけて努力したり、
あるいは私みたいなロートルから問題点を指摘され反発しながら
上手くなっていくべきものだと思っている。
スケートがうまいだけで大口をたたいても、練習とかプレーで
努力や懸命な姿勢が見えなければ、残念ながら評価は得られない。

2月からは別なシリーズの試合が始まる予定なのだが、
メンバー構成を決める首脳会議で、彼女については
Bチームに行ってもらうか、フォワード転向を強く勧めると思う。
あるいは、私がチームを去るという選択肢もあってもいいかもしれない。
正直、疲れた。

精神科受診

昨年9月から通っている精神科に昨日受診だったのですが

元同僚が精神科クリニックを近所に開業しているので
妻の様子がおかしかった昨年9月に精神科クリニックを初診、
うつ病の診断で投薬を今まで継続してきました。
現在若年性アルツハイマー疑いで各種検査を受けていて
SPECTで所見が出ている旨、主治医に申告したようですが
高齢者の場合と異なり、応対がまともに見えるせいなのか
アルツハイマーとは思えない、と漢方薬を追加されたそうです。
妻自身も、精神科初診の頃に比べると、はるかに
気持ちの落ち込みが改善した事は自覚していて
自分がうつではなさそうだと薄々感じているのですけれど。

明日夕方に脳神経クリニックで説明を受ける予定なのですが
そこで今後、検査を進める事になるかどうかが決まります。
精神科への通院もその後再考する事になるでしょう。

昨夜は体験を申し込んだスカパーHDのチューナも届きました。
年末年始はスカパーHDを試験的に導入します。
いずれ視聴番組を大幅に絞って継続とするか、
スカパー自体を解約するかはその後に決める予定です。

2009年12月14日月曜日

土日、義姉夫婦訪問

義母が月曜日の退院と決まり、土日義姉夫婦が泊りに来ました

まだ妻自身から義姉に、SPECTの結果は話さなかったと。
義姉のお友達で、今回義母入院中に、いろいろお手伝いを
してくれた方がいるのですが、実はその方の身内に
若年性アルツハイマーの方がいるのだそうです。
で、妻が総合病院でSPECTを検査したと話したところ
若年性アルツハイマーではないかと喝破されたのだそうです。
いろいろ似通った症状があって、思い当たったのでしょう。
そのお友達は、義姉には秘密にしておくと約束したそうです。

ただ、私の方から義姉には既に話してあるので、
義姉夫婦が知らないと思っているのは当人だけです。
診断名が確定したら、義姉夫婦に教えるべきだと話しました。
身の回りの事を含め、これからいろいろ負担をかけるし
自分の変化を、自然な経過だと知ってもらうためにも
最低限の人にはカミングアウトすべきだと思います。

最近では、料理の機会はかなり減り、外食が増えました。
携帯電話を持ち忘れたり置き忘れたりがしょっちゅうです。
入浴回数も減り、化粧も少なくなったように感じます。
テレビが新型になったけど、操作を覚えるのが苦手です。
物の置き場所を思い出せなくなる時がまれにあります。
CDは出しっぱなしで、さりとて聞いている訳でもありません。

今後車の運転もおぼつかなくなるはずです。
そうすると、性格的にもひきこもりになる可能性大です。
今はアリセプトも飲んでいない状態ですが、
どれくらいのスピードで進行していくものなのか、
現状が若年性アルツハイマーとしてどの程度なのか
考え出すと、不安がおさまらないのが正直なところです。

2009年12月12日土曜日

外科忘年会

昨夜は外科の忘年会、一次会だけの参加でした。

こういう飲み会は一次会で二次会会費も集めてしまい
二次会は若い連中だけで飲むのが一番平和な訳で。
今年一杯で外科最古参の看護師さんが退職するとの事で
その送別会をかねての忘年会だったのですが、
この看護師さん、私が研修医の時には手術室勤務で
うちの妻も同時期、手術室勤務だったので、元同僚、
私とは一緒にアイスホッケーをやったりしていた方なので
付き合いは他の看護師さんより濃厚と言っても良いかも。
退職後は趣味の山登りを極め、65歳までには
エベレスト登頂を実現させたいのだそうだ。
その為に貯金と肉体的鍛錬と山への挑戦を続けると。
夜は暇になるから、飲みに誘ってよ、と言われたのだが。

うちの妻が昔から人付き合いの苦手な方だったよね、と
本質をずばっとついてくるような人でもあるので、
正直に、飲みに来てもらうのは良いのだが、おそらく
妻は家族性、若年性アルツハイマーの疑いが強く
会っても昔とは感じがだいぶ違うだろうし、
人と会うのもだんだんと苦痛になるっているようなので
なかなか個人的にお誘いするのは難しいかも、とお話した。

彼我の差は大きいなあ

2009年12月10日木曜日

麻酔・麻酔、時々形成

昨日も定期と臨時の麻酔があったのですが

麻酔科医のメーリングリストに参加していて
かなり大量のメールが職場のパソコンに届きます。
最近ではCICVで患者死亡?という話題がありました。
CICVという言葉は私も初見だったので調べると
cannot intubate,cannot ventilate
という事なのだそうです。挿管困難・換気困難。
麻酔やっていたら、一番怖いし対処に困る状況です。

私が研修1年目だった時、目の前でこれが起きました。
病棟の高齢患者さんが餅をのどに詰まらせ窒息しました。
直ぐに麻酔科の若手医師を病棟に呼んできて
挿管をしてもらおうとしたのですが、これが運悪く
挿管困難な方で、時間をかけている間に心停止。
その時、餅が詰まってるなら挿管出来ても
換気出来ないんじゃないかな、と心配しながら
横で見ているしか出来なかったんですが。
その時以来、挿管困難換気困難に出会ったら、
迷いなく気管切開する、と心に決めていました。

後日、喘息発作で呼吸停止を来たした方がいて
救命救急医が挿管を試み挿管困難だったため
私がメスで緊急気管切開を行い救命できた事があり
以後数回、緊急気管切開を経験しています。
麻酔導入に恐怖心が無いのは、こうした経験から
CICVに際しての対処の自信があるからだと思います。

2009年12月9日水曜日

今日はSPECTの結果説明の日

なんで朝一番の予約になっていたのかしら

今日は、私の勤務先とは異なる総合病院で撮ってもらった
SPECTの読影結果の説明のある日でした。
ただ、予約が朝一番だったので、私は立ち会えませんでした。
前回の診察時の印象では、脳神経クリニックの担当医は、
各種検査結果が良かったので、若年性アルツハイマーは
想定外で、SPECTでは所見は出ないと考えていたと思います。
SPECTは私たちの希望でやってもらった検査でしたから。

で、結局SPECTで脳血流低下が証明されたのだそうです。
担当医は、時間外でも良いから私と面談したいという事でした。
弘前大学神経内科か東北大学老年科へ紹介したいようです。
おそらく告知するかどうかの迷いもあるのだと思います。
治療法が無い以上、若年性アルツハイマーの診断は
医師にとって容易に下す事に躊躇が大きいものです。
診断を確実にするために検査を重ねるべきだという判断も
非常に理解出来るところです。

ただ、自覚症状・他覚症状が揃っていて、私の中では
既に診断は確固たる自信を持って下されているので
全て想定範囲内なのですけれど。
妻には、「お前は家族性アルツハイマーだと思う」と
話してしまいました。だけど、決して悲観したり努力したり
しないように、現状出来る事だけやっていこう、と話しました。
私自身も今はその事実で動揺は全く無いから、と。

2009年12月8日火曜日

大学からの助っ人との手術

東北大学形成外科から助っ人を呼んで手術をしました。

通常当科の手術は木曜午前中と決まっているのですが、
東北大学に手術をお願いした患者さまが、当地での手術を希望、
紹介先の東北大形成外科の医師も、当地に出張可能という事で
一昨日の日曜夕方に当地まで来てもらいました。
特別に月曜午前に手術枠を貰って、一緒に手術に臨みました。
大学から人を呼んで手術するというのは、だいぶ以前に
人手を要する骨移植術で二人ほど呼んでやった事がありますが
その手術も現在はすっかり大学に押し付けてしまったので、
医局の後輩に出張してもらっての手術は本当に珍しい事です。
私のやっていた手術方法とは若干異なり、効果もよさそうでした。

日曜は久々に一緒に飲み、大学の事情をいろいろ聞きました。
関東では形成外科の人気がすごいらしいのですが、東北大では
来年の入局予定者が1名、退局予定者2名で1名減の見込みとか。
来年夏に関連病院で退職を迎える方がいて、そちらへの人の派遣とか
それとなく探った限り、人のやりくりは本当に大変そうでした。
私が麻酔専任になり、形成外科臨床を誰かに来てもらう、
というのは、かなり現実味の無い選択肢だと考えられます。

という事は、短期的には介護に時間を割くのは難しいかもしれません。
まあ、数年は大丈夫じゃないかと考えているのですけれどね。

2009年12月5日土曜日

手術室忘年会

昨日は手術室の忘年会、かなりの参加人数でした。

手術室の忘年会は麻酔科と手術室だけの閉ざされた忘年会と
外科系全科を招待する開かれた忘年会が1年交代で開催される。
今年は開かれた忘年会の年で、麻酔研修医も多かった事から
かなり多人数の忘年会となった。
麻酔科科長が当直となり、あいさつが代読されたりした。
19時から22時30分までと、結局長時間の宴会となったが、
私自身はお話出来た人は数人に限られてしまった。
とにかく人が多すぎて、お酌してまわるという雰囲気が無い。
一応看護師さんがフラダンスの出し物を一つ用意していたが
基本穏やかな、会話中心の忘年会だったのが好印象。
ただ、他科の医師ともっとお話ししたかったかなぁ。

明日は東北大学からお招きした医師の接待があるので
夜のアイスホッケーの試合は欠席となるのだが、
私が試合を欠席するのって数年ぶりの事だと思う。
まだまだ年末の忙しさからは逃れられないなぁ。

2009年12月4日金曜日

岩手医大脳外科教授の講演会

講演会といっても、実は高校時代の同窓会だったのだが。

高校時代の同期には医者になった者が多い。
昨日講演してもらった岩手医大脳外科の小笠原教授も
高校の同級生の一人で、教授就任祝いを兼ねて
故郷で講演会を開き、ついでに飲もうという話となった。
集まったのは、医者や薬剤師になった同期生だが
欠席者も結構いたので、半分も集まったのだろうか。
主に医者20名弱の、比較的小規模な会となった。

彼は高校時代、かなり親しい友人であったのだが、
教授になるまでの道のりは、いろいろあったようだ。
彼の東北大脳外科教室入局には私も関わっている。


彼は別な大学に通っていて、友人と喫茶店で雑談中に
自分は脳外科を目指したい、と話したのだという。
たまたま彼の目の前にいたのが、東北大学卒業後に
彼と同じ医学部に再入学していた医学生だったようで
「脳外科をやるなら鈴木二郎教授だろう」と言ったという。
鈴木二郎先生は東北大学脳外科初代教授で
脳動脈瘤手術などで世界的な権威であった。
たまたまその頃、私自身も脳外科での学生実習中で、
その私の元に彼から電話が入り、脳外科への入局の
仲介を頼まれた。すごいタイミングである。
指導教官に話したところ、その日のうちに話が進み
彼はすぐに東北大脳外科医局入局者リスト入りしていて
夕方には脳外科から入局許可の連絡があったのだという。

そこから先は、他学出身者の苦労がいろいろあって、
岩手医大に落ち着くまで東北大関連病院を転々とし
30回ほども転居して歩いたのだという。
入局時代の上司が岩手医大脳外科教授になり、
彼は上司に引っ張られて岩手医大に移ったのだが、
12月25日に当時の教授に突然呼び出され
「おまえ、明日から岩手医大な。以上」と
1分足らずの宣告で移動が決まったのだという。
逆境の中で伸びる人材を高く評価する一方
つぶれていく人材を容赦なく切り捨てる、という
東北大脳外科方式らしいやり方ではある。
当時の上司に見る目があったとも言えるのだが。

岩手医大に落ち着いてから、彼はあるテーマで
(頸動脈内膜剥離術後のHyper-perfusion injurry)
認められ、論文を量産(英語論文130篇だという)
日本でもその方面で第一人者になった。

とは言え、どんな職業でどんな業績があっても
同級生はいつまでたっても同級生である。
髪が薄いだの年食っただのとたわいもなく騒ぎ
楽しく過ごす事が出来た。

ちょうど一昨日、私のスケート部の同期で
彼と東北大脳外科入局が一緒であった
中里君も東北大医学部運動機能再建学分野の
教授就任の連絡があったばかりなので、
同期から2名の脳外科関連の教授が生まれた事になる。
その事もあり、昨夜の酒はいつも以上に美味であった。

2009年12月2日水曜日

派遣元の医局の変更

うちの病院は、弘前大学麻酔科教室から見放されているので。

以前、名古屋大学形成外科教室に所属していた事があり
静岡市にある静岡済生会総合病院で形成外科を開設し
合わせて熱傷センター設置するよう派遣された事がある。
熱傷センターを標榜するためには、24時間熱傷センター内に
医師が常駐していなければならないという規定がある。
そのために過酷な勤務を強いられたりしたのだが。

所属を名古屋大学から母校の東北大学に変えてから
しばらくしてからだったろうか、名古屋大学の教授から、
静岡済生会総合病院の熱傷センターを無くす話を聞いた。
大変な苦労の末に設置を勝ち取った経緯があるので
残念ではあるが、今さら責任を取れる立場にも無い。
別に私に話さなくても良いものを、と思いながら聞いた。
ただ、名古屋大学形成外科の関連病院であるはずと思い
先日、静岡済生会病院のホームページを覗いて驚いた。
名古屋大学形成外科は静岡済生会病院から撤退していた。
代わりに杏林大学形成外科の医師が派遣されていた。

そういう事であったのか、と思った。
要するに、名古屋の人は静岡まで派遣されたくないのだ。
私は名古屋にも静岡にも縁が無い人間だったので
あまりその事を真剣に考えずに派遣されたのだが、
数年とはいえ名古屋の人間は名古屋から離れたくない。
だから静岡の病院は関連病院から切ってしまったのだ。
だから、熱傷センターも何も関係無くなったのだ。

ちょっと切ない気分もあるのだが、時の流れなのだろう。
うちの病院も、弘前大学麻酔科からの派遣は諦めて
別な活路を見出す努力をしても良いのではなかろうか。

着々と居間が変身

居間に西日が射しこみすぎるのが問題だったので。

テレビのある場所に、高窓から、いつも西日が直接当たる。
冬、日が低いと特に、画面が照り返しで見えない事が多い。
台形型の高窓で、カーテンは無理だろうとあきらめていたが、、
昨日、その高窓に、変形窓用のブラインドがついた。

もともとは画家になった同級生から妻が情報を仕入れた。
凝った内装を得意とするお店で、展示品も大層しゃれている。
で、変形窓用にオーダーメイドでブラインドを注文していて
昨日取り付けが終わったのだが、これがなかなか良い。
色は白で遮光能力は低いものの、外見がおしゃれであった。
あとは大型テレビが到着するのを待つばかりである。

職場では、また麻酔科長と外科間にトラブルがあったようで
私には、直接はなにも情報が入ってこないのだが、
麻酔科長が当直の日に外科臨時手術を断ろうとしたという。
で、外科長が正式に何らかの申し入れをする方向となったようだ。
麻酔科長が当直の日は外科は自科麻酔となる可能性がある。
そうすると、私の待機の日がだいぶ増える勘定なのだが、
まあ、それはそれで、私としては覚悟が出来ている。

最悪、麻酔科長が辞職する可能性も残っている。
正直、それでも仕方が無いのではないかと思う。
現状では関係者全員が不愉快に仕事をしている。
問題が起きていないというだけで、士気は最低である。
たとえ一時的に窮地に陥るとしても、その先に
光(希望)が見えなければ、病院としてはまずい。
特に救急に力を入れて、これから臨時手術を増やそうと
病院の方向性を定めている以上、譲れない事もあろう。

この地方の麻酔科医問題は、根が深い。