2009年12月4日金曜日

岩手医大脳外科教授の講演会

講演会といっても、実は高校時代の同窓会だったのだが。

高校時代の同期には医者になった者が多い。
昨日講演してもらった岩手医大脳外科の小笠原教授も
高校の同級生の一人で、教授就任祝いを兼ねて
故郷で講演会を開き、ついでに飲もうという話となった。
集まったのは、医者や薬剤師になった同期生だが
欠席者も結構いたので、半分も集まったのだろうか。
主に医者20名弱の、比較的小規模な会となった。

彼は高校時代、かなり親しい友人であったのだが、
教授になるまでの道のりは、いろいろあったようだ。
彼の東北大脳外科教室入局には私も関わっている。


彼は別な大学に通っていて、友人と喫茶店で雑談中に
自分は脳外科を目指したい、と話したのだという。
たまたま彼の目の前にいたのが、東北大学卒業後に
彼と同じ医学部に再入学していた医学生だったようで
「脳外科をやるなら鈴木二郎教授だろう」と言ったという。
鈴木二郎先生は東北大学脳外科初代教授で
脳動脈瘤手術などで世界的な権威であった。
たまたまその頃、私自身も脳外科での学生実習中で、
その私の元に彼から電話が入り、脳外科への入局の
仲介を頼まれた。すごいタイミングである。
指導教官に話したところ、その日のうちに話が進み
彼はすぐに東北大脳外科医局入局者リスト入りしていて
夕方には脳外科から入局許可の連絡があったのだという。

そこから先は、他学出身者の苦労がいろいろあって、
岩手医大に落ち着くまで東北大関連病院を転々とし
30回ほども転居して歩いたのだという。
入局時代の上司が岩手医大脳外科教授になり、
彼は上司に引っ張られて岩手医大に移ったのだが、
12月25日に当時の教授に突然呼び出され
「おまえ、明日から岩手医大な。以上」と
1分足らずの宣告で移動が決まったのだという。
逆境の中で伸びる人材を高く評価する一方
つぶれていく人材を容赦なく切り捨てる、という
東北大脳外科方式らしいやり方ではある。
当時の上司に見る目があったとも言えるのだが。

岩手医大に落ち着いてから、彼はあるテーマで
(頸動脈内膜剥離術後のHyper-perfusion injurry)
認められ、論文を量産(英語論文130篇だという)
日本でもその方面で第一人者になった。

とは言え、どんな職業でどんな業績があっても
同級生はいつまでたっても同級生である。
髪が薄いだの年食っただのとたわいもなく騒ぎ
楽しく過ごす事が出来た。

ちょうど一昨日、私のスケート部の同期で
彼と東北大脳外科入局が一緒であった
中里君も東北大医学部運動機能再建学分野の
教授就任の連絡があったばかりなので、
同期から2名の脳外科関連の教授が生まれた事になる。
その事もあり、昨夜の酒はいつも以上に美味であった。

0 件のコメント:

コメントを投稿